2014-04-16 第186回国会 衆議院 農林水産委員会 第10号
国営農場、共同農場、中国の人民公社、これは企業農業ですよ。アメリカの企業農業は何かというと、カリフォルニア、フロリダの野菜や果物の収穫、季節労働で、安いバスに乗せてトレーラーの中でやって、不法移民の人たちを使っているわけですよ。こういう非常にいかがわしい農業ですよ。私は長続きするはずがないと思います。
国営農場、共同農場、中国の人民公社、これは企業農業ですよ。アメリカの企業農業は何かというと、カリフォルニア、フロリダの野菜や果物の収穫、季節労働で、安いバスに乗せてトレーラーの中でやって、不法移民の人たちを使っているわけですよ。こういう非常にいかがわしい農業ですよ。私は長続きするはずがないと思います。
二十ヘクタールの集落営農なんというのも、一元経理とかなんとかいうのも、ソ連でコルホーズ、ソホーズというのがありました、国営農場、共同農場。中国に人民公社がありました。この日本国で今こんなことをやり出そうなんて、僕は、田植え機を共同で使うとか、それはいいです。ですけれども、その一元経理とかそういうのは、理想に走り過ぎですよ。
ソ連でかつてコルホーズ、ソホーズというのがありました、国営農場、共同農場、全く同じ考えです。中国の人民公社。私は、小泉、竹中、ホリエモン路線、こういう過去の自由競争、自由競争というのは嫌いです。仲よくみんなで共同して、和気あいあい生きていった方がいいと思っています。
国営農場と共同農場。そこは生産性が上がらず、小さな自留地、自分の土地を耕して、そちらの方からほとんどの野菜や何かが供給されているという事態になっているわけです。 それから、アメリカの農業も、実は、大きいですけれども家族農業です。中西部はほとんど家族農場です。企業的な農業が行われているのはごく一部です。どこかというと、カリフォルニアのレタス畑、フロリダのオレンジ畑等です。
それから二番目といたしまして、三江平原の商品穀物基地、これが供与限度額が百四十九億一千万ということで、これは省内の四十九の国営農場での農業機械の更新とか土地改良、こういうものを行うというものでございます。それから三つ目が、黒竜江省の三江平原の商品穀物基地ということで、供与限度額が二十七億九千万ということで、これも実行しているところでございます。
そこでひとつお伺いしたいのは、円借款の手順といいますか、全部にわたれば大変ですから、この三江平原、黒竜江省の竜頭橋のダムと、それから国営農場にありますが、その円借款のこれからの見通しについて簡潔にひとつお伺いしたいということ、それからもう一つは、現地の方から非公式ないろいろな声を行ったり来たりして聞いておるのですが、十数年前に調査をやってかなり時間がたったので、補充調査を、中国側の独自の調査をもう一度
そこに書いてあることは、入植してまず第一に驚いたのは、募集要綱は自営開拓農であったことに対して植民地は国営農場であり入植者はコロノで、国内の土地のない農民及び失業者を保護するための国営設備であった。私ども先進国の優秀な農業者を利用して自国の原始農業開発のため体裁よく受け入れたこともわかった。
これは移民の方が申し立てていらっしゃるのですが、入植してまず第一に驚いたのは、募集要綱は自営開拓農であったことに対して植民地は国営農場であり入植者はコロノで、国内の土地のない農民及び失業者を保護するための国営設備に入ったと。
ですからこういう点で、なお私が言いたいのは、いま国営農場なんかをつくっておる。何をつくるかという問題については、政府が価格を保護してくれるたばこの葉、それから養蚕、こういう話が出ておる。こういうことであればいま需給バランスと言うけれども、なお増産しようということになる。
農業の場合で言えば、もちろんいろいろな経営の形態はありますけれども、大体個別経営もしくは協業というふうなことでやられるわけであって、特別に国が農業の面で国営農場を持つというふうな形ではないわけで、そういった点が違いますし、また漁業の面で言えば、沿岸があり、沖合いがあり、遠洋があり、零細な中小漁業からいわゆる資本漁業と言われるような形態のものが御承知のようにあるわけでございます。
これは皆さんからきのういただいた資料ですが、「国営農場開発事業について」、岩手県の須川というところでは十町歩の稲をつくっておる、能代では五十町歩の稲をつくっておる、いろいろとこうあります。福島潟は(十四町歩)、これはつくってはいかぬところにつくったのだ、こういう御説明でございます。
たとえば北ベトナムでは乳牛がほとんどいままでのところ育っておらないので、これは国営農場などで試験的にはやっております。牛乳の生産というのはほとんどゼロですよ。しかも、乳児には制度としてミルクを配給しておりますから、これはみな外国から粉ミルクなりコンデンスミルクを輸入してやっておるわけです。
ソ連の状態は——共産圏全体でありますけれども、個人主義経営になれた農民が、国営農場や共同経営をやりますから、農業が弱点であります。
それから農業経営も、人口が少ないから、たとえば国営農場とか合作社とかいうようなものは数万ヘクタールの土地を経営しておりまして、小麦なども輸出しております。チーズ、バターも輸出しております。人口は百二十万だが、家畜の数は二百六十万頭もあります。そういうわけで、非常に小さいが近代国家の模型として成長しているわけです。
これはトラクターやコンバインをはじめとする大農具のごときも、国営農場で使ってみて、これならば推奨してもよいという自信ができたときに持たせるというような親切なやり方をしておりません。いたずらに商社にのみもうけさせているような感じをさえ与えております。実験もしない、自信の持てないものを押しつけ、危険負担を農業者にしいるやり方は、どうしても納得ができません。
そこで、問題は、確かに国の責任でないかというお話でございますが、たんぼに種をまいて稲を育てて光る、いずれ売るわけでございますが、それを国の責任でということは、国営農場でないとちょっとどうも無理な感じもいたすのであります。私どもといたしましては、熟田化の問題、あるいは営農の確立の問題、そういうために、以上申しました数年間の余裕、最初の一、二年は無償使用、こういう状態は用意はいたします。
ソ連のように、国有地だ、そしてまた国営農場というようなことに対応しては、機械の国有といいますか、国営機械化センターを設けて、それを使用するということも必要だと思いますが、この点につきましても、ソ連などで少しやってみて失敗した例もございます。
○小柳勇君 働けば自分の私有地になると思って行ったと書いてあるが、国営農場と、その働けば自分の土地になる私有地の開墾というものは、ちゃんとドミニカの法律でもはっきり二つに分けてありますが、それが中田技官のような専門屋が調査してわからぬものでしょうか。
実際に移住を開始しましたのが三十二年からでございますが、その当時の情勢でございますると、日本が敗戦を喫した、ようやく昭和二十七年に講和条約ができて独立を回復した、そこで何か行き詰まるような気持から解放感があったところへ、また移住の天地が開けた、しかも先方では月六十ドルも金を出して、そして国営農場を移住者に開放してくれる、こういう話だというので、非常に解放感から押しかけたわけですね。
そのとき国営農場へ行ってびっくりしたというお話でありますが、募集要領を十分検討されておいでになることは、一生の大事であるからもちろんだと思いますが、その募集要領等はどういうふうに説明をされ、あなたたちもそれを納得をして向こうへおいでになったのでございますか。この悲劇の発端は、募集要領が発端であろうと思うのです。もちろんこれは公募をされておるわけであります。
また私たちネイバ地区の場合、国営農場ということはそんなに切実に感じたことはない。僕の場合、募集要領にも、「ドミニカ国の法令を守ること。政府が指定する場所において農業に専従すること。」と書いてありましたので、これは多少の束縛があるということは感じておりましたけれども、詳しいことまではわかりませんでした。